13 7月 あたらしい旅と暮らしって?
旅はもっと自由につくれる。
あたらしい旅のかたちをみつけよう。
[eltdf_dropcaps type=”normal” color=”” background_color=””]あ[/eltdf_dropcaps]たらしい旅ってどんな旅だろう。改めて考えてみると、よくわからなくなる。そもそも旅(たび)と旅行(りょこう)の違いなんてのも、人それぞれ違う概念で捉えているだろうし、そんなことを厳密に考えはじめると、どうにもはじまらなくなる。
ただ、言えることは、旅(たび)というのは、ただ移動することだけではなく、ただ観光することだけでもなく、旅をしているその人自身のこころの状態、感じ方、意味付けと関係がありそうだということ。
目に入る景色で、あなたは何を感じたのか?どんな感情を得たのか? ひとりで、気の置けない仲間と、家族と、旅をする。そこで起こる他愛もない会話や、ただぼーっとすること、美味しいなと味わって食べること。それらの行為がもたらす感情を丁寧に味わってみる。そうするだけで、いつもの景色ですら、違う見え方になり、ある種の「気づき」が起こることもありそう。
あたらしい旅というのは、ただ今風のオシャレなスポットに行くことではなく、そこに行く動機や行為そのものにも丁寧に向き合い、五感全部をつかって味わい尽くす「あり方」なのかもしれない。流行の、テレビに出てた場所に、ただ話題だから、という理由で行くんじゃなく、自分の内側からの動機を持って、そこから何かを得るために行くこと。
自由な旅を知ると、
あたらしい暮らし方も見えてくる。
自分の意志で、自由に旅をする。 どんなものが好みで、どんなことが楽しくて、楽しくないものは何か? 他者の視点はそこになく、あくまで自分が主体の気ままな行動。
そうした自由な時間の過ごし方を、旅でできるようになると、何が起こるか? 「つまらない時間を過ごしたくない」と思うように、きっとなる。なぜ断言できるかというと、現にわたしがそうだったから。自由で自分の好きなような時間を過ごせる旅を体験してしまうと、きゅうくつな暮らしが、本当に窮屈になってくる。
みんなそのことを恐れ、楽しさを知ろうとせずに、窮屈さの中でなんとか誤魔化して生きているのかもしれないけれど、それは本当にもったいないことだ。 旅だけが非日常で、日常はきゅうくつで自由が利かないもの、だなんて、短い人生であまりにも時間がもったいない。旅で出来ることが、普段の暮らしで出来ない、なんてことは絶対にない。
あたらしい価値観で生きる。
旅でそのモデルになる人や装置を体感する。
旅と暮らしとイコールにする。もちろんこれは、毎日遊んで仕事しないで暮らす、という「行動」の話ではない。そうではなくて、旅で感じた「気分」のことだ。 きっと最終的には気分も行動もイコールになることだってあるだろうけれど、まずは、1日のうち数時間でも数分でも、「自由を感じる」「リラックスする」ことを、自分に許可していく。
やり方がわからないとき、そのときに、旅先で会った自由な人を思い出すのだ。 ゲストハウスや南国の島なんかに行くと、「この人はどうしてこんなに楽しそうに生きてるんだろうか」という人に出会ったりする。お金の有無ではなく、マインドが自由な人。自分のまわりにはいないそういう人に出会えたらしめたもの。自分にはなかった価値観が入ってくる余地がそこに出来る。
すぐに、全部総取っ替えするのではなく、少しずつ、自分の暮らしに「嘘のない自分」が出せる時間を増やしていく。母親、父親だから、とか、子供だからとか、いい大人だから、社長だから、派遣社員だから、無職だから・・・とかそんな「役割」としての自分ではなく、名前だけの自分。素の自分になる時間が多ければ多いほど、自分に合った暮らし方、とはどんなものか?のヒントがきっと見えてくるはずだ。