好きなように生きていく。当たり前、常識を脇に置いてみる。

好きなように生きていく。当たり前、常識を脇に置いてみる。

年齢なんて関係ない。
好きなように、生きよう。

[eltdf_dropcaps type=”normal” color=”” background_color=””]ど[/eltdf_dropcaps]うやら見た目上、昔から若く見られがちだけど、わたしはそろそろアラフォーと呼ばれる年代すら越えようとしている。年齢だけ聞いたら「おばさん」の域に入っていることは疑うべくもない。そして今自分のまわりで一緒に仕事をしたりしている人も、ほぼ全員年下だ。

 

そんなわたしが、去年から今年にかけて、人生数度目かの大きな転換期を迎えた。既にビジネスとして確立しつつあったボディセラピーサロンを運営をストップ、大好きなセラピーの仕事もほぼ止めて、別ジャンルのライフワークだった書くことと旅することを仕事にするという無謀なチャレンジをしようとしている。

だから、自分よりも年下の人が、「年のせい」とか「若くない」とか言っているのを聞くと、「いやいや、まだ全然大丈夫ですよ」と声をかけたくなる。もちろん自分より年上の人でも輝いて生きている人も、あなたが想像するよりたくさんいる。

 

自分も30歳くらいのときが一番「自分はもはやババアで、終わってる」と思っていたことをふと思い出す。そこからわたしはたくさん旅をして、いろんな人に出会い、自分の価値観ががらりと変わって、今に至る。要するに、自分次第、なのだ。

自分の内側に巣食う「こうあるべき」を
いくつ取り除けるかで、人生の自由度は決まる

昔から自分は比較的柔軟な思考をしている、と思っていたけれど、それでも何かしらの困難がやってきたときに気づいたのは、自分の中にある「こうでなければいけない」という常識という名の思考の縛りだった。

人は役割を演じて成長する、というのも事実で、会社なら課長やら部長、マネージャーなど役がついて、やることが変わることで人としても成長していくことはあるし、母親、父親になることで、家族や子育てを通して成長する、ということも当然ある。

けれどその中にも、本当に必要なことと、本当は不必要な「常識」がある。あなたの常識が誰かの非常識、だったり。自分が信じていることが本当に自分自身の声なのか?本当にそれはあなたが今やることなのか?ひとつひとつ検討すると、その行動は「誰かに何か言われないか心配だ」という恐れから来る行動だったり、両親の考えをそのまま何も考えず踏襲していたに過ぎない行動だったりする。

 

そういう自分では当たり前過ぎて気づかない考え方のクセから、いかに自由になるか? わたしは今までそれをカラダを変えることで心を変えるというセラピーの世界でやってきた。囚われたこころを解放していくことで、人生の選択肢はとても多くなった。

旅に出て、いろんな価値観に触れてみよう

セラピーの世界と同様、旅にも、そうした効能があるように思う。 もちろん、ただの観光旅行という捉え方ではそうした効果はない。けれど、ものの見方を少し変えて、ゲストハウスのような、旅人同志が交流できたり、宿の人とお話できたりする空間で、その土地に住まう人や、たまたまそこに旅していた人と出会い、話す。そうすることで、自分のまわりにはいなかった考え方の人や、実際に憧れているような生き方をしている実例に会う。自分が当たり前、と思っていることが、いかに他人にとっての当たり前じゃないか、ということに愕然とする。

「人に迷惑かけちゃいけない」っていうところからまずは離れて、それでもいいんだ、と許し、自分も迷惑(と思っているもの)をかけるけれど、あなたの時はお互いさま、という関係性をつくっていく。「わたしさえガマンすれば」の考え方を捨てる(そのガマンはあなたのカラダを蝕んでいるから)。

 

いっぱい迷惑かけて、いっぱい他人の迷惑も許して、そうしてお互いラクに生きていい。 日本に足りないこの精神を、旅を通していろんな人が体感していくといいなと思っている。

[eltdf_section_title title_tag=”h3″ title=”Photo shooting place / 撮影地”]

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長野県下高井郡山ノ内町
志賀高原 横手山
駐車場脇からの絶景

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広島県尾道市
千光寺
千光寺下の公園猫

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Onomichi U2
尾道水道真横のカフェ

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