13 7月 旅するように暮らす、暮らすように旅する。
移動しない旅をする
[eltdf_dropcaps type=”normal” color=”” background_color=””]日[/eltdf_dropcaps]本では、移動型で数日でどんどん場所を変える周遊型の旅が、旅行の王道だった。 海外旅行のツアーなんかでも、ヨーロッパ8カ国10日間、みたいなのが未だに人気だともいう。その王道と「暮らすように旅する」は真逆だ。移動せず、一カ所に留まった旅。そこ非日常のゴージャスさはなく、いわば生活をそのまま別の場所にもってくるような感覚だ。自分専用の別荘ではないにせよ、どこかそれに近いような感覚があるのが、移動しない旅だ。
ヨーロッパ諸国では、仕事を持つ親も子供も長期休暇が取れるから、夏の間だけ家ごと移動して暮らす家族も多い。今の日本でそれが出来る人はごくごく限られているし、慣れてない人は、移動しないその場所で何をしたらいいかわからない、という人も多かった。でも、今その風潮が変わってきつつあるのを感じる。
旅するように暮らすとは、
日常をルーティンだけにしないこと
二拠点とか多拠点居住をしている人を見ると、この暮らすように旅し、旅するように暮らす、を実現している人が多いように思える。 少しだけそういう暮らしも体験してみたわたしからすると、この二拠点ライフ、意外と忙しい。特に都会と地方・田舎と呼ばれる二拠点の場合、家のメンテナンスとか、草刈りとか、地域の行事とかっていうの大事だったりして、肉体労働と移動が増えることも含めて、わりと大変。
けれど、それは逆を返すと「日々が毎日、予期できないことの繰り返し」であるとも言えて。毎日同じ繰り返し、というのが日常だとするならば、移動が多いような暮らしは、非日常と日常の境界線が曖昧になるということ。日常をルーティンワークにせず、常に新鮮な気持ちでいることが、飽き性なわたしには向いているし、日常を変えたい、と思っている人にとっては大きなヒントになるのではないだろうか。
旅が日常に近づくと、 終わっても疲れない。
またすぐに、出かけたくなる。
「旅」を、ものすごく特別な、めったにしないものと捉えている人にとっては、移動することそのものが面倒で、準備が大変で、帰ってきたら疲れちゃうので嫌だ、と思いがち。けれど、旅が日常に近づいてくると、極めて自然にふらりと出かけられるようになるし、家にいても、旅に出ていても、あまり気分の差がなくなってくる。旅に求める「感情レベルのもの」もまた、違ってくる。
そうして暮らしと旅が少しずつ近づく。 そんな旅ができる宿や施設が今は増えてもきているから、いい時代になったなあ、なんて思うのだ。