13 7月 もっと自由にカジュアルに。旅も暮らしもフレキシブルに。
たとえば予定を決めない旅をしてみる、とか。
[eltdf_dropcaps type=”normal” color=”” background_color=””]1[/eltdf_dropcaps]泊2日の温泉旅行。 初日はここに行って、昼はここで食べて、夜はここに泊まる。よくあるスケジュールで、特にひとりじゃない旅行のときは、そうやって予定があって、その計画に沿って自分が動く。でも、旅の最中って、その予定が狂うことがある。ここに行こうと思ってたけど休みだった。このレストランに行くつもりだったけど、着いてみたらあんまり好みじゃなさそう、とか。
カップルで行ってそういうアクシデントがあったとき、どう切り抜けるかで対応力が問われたりするけれど、それはともかく、旅をすると、この次から次へとやってくる予定通りにいかないことへの対応力が鍛えられる。
でも、だったらいっそのこと、予定を全然決めずに出かけたっていいのでは?ガチガチに予定を決めるからこそ、スケジュールが狂うのであって、スケジュールを決めてなければ、狂うこともない。泊まるところだって、今どきよほどの激混み休日でない限り、泊まれないなんてことは、ないわけで。そんな風にもっとカジュアルに、自分を鍛えにいくのもいい。
天気によって行き先を変える 。
晴れた天気のよい日と、雨の日ではその場所の印象はまるで違う。景色がよい場所は当然晴れた日が眺望もよくていいけれど、雨が似合う場所というのもある。ただ、残念ながらお天気というのは、当日にならないと状況がわからないという欠点がある。
わたしは、「あしたどっか行こう」と思っていて、当日になってから行き先を決めるということをよくやる。下手したらクルマで当日出かけておいて、途中で行き先を変更するということだってある。 晴れが似合う場所、自分が感じたい「気分」や「感覚」でカジュアルに行き先を変える。何も雨が降っているのに、まるで見えない富士山の眺望がよい絶景カフェに行く必要はないのだ。(もしそんなところがあるなら逆に空いてて良さそうとかはあるが)
休日の予定も、なくていい。
たまに、休日の予定が埋まってないと不安、という人がいる。「どうしてまたそんな?」と、今や休日と平日の概念が曖昧な仕事になって10年以上のわたしにとっては、理解できない部分もあるのだけれど、そういう人は、自分の家をカフェみたいにして、自己満足の世界に浸ってみるのもひとつの手だと思う。
どこかに出かけるだけが「旅」じゃない。 自分の人生を、自分の時間を取り戻し、その中で充実した時間を過ごすことができれば、それはひとつの「旅」だと思う。流行っているから、という理由で、淋しいヤツだと思われたくないから、という理由で、出かけるなんてなんだかその思考がハッピーじゃない。
孤独のなかで、本を呼んで、本の世界に旅をする。そういう時間を取る努力をする。 そこから自分の欲しい暮らしは、きっとはじまっている。